これでいっか!はもう辞めよう

先日のゼミは中間発表を行った。

 

私たちの辿ってきた道のりが、どういう伝え方なら伝わるかな〜と考えながら資料を作成し発表に望んだ。いざ人前に立つと緊張で自分の言うべきことが飛びそうになって危なかった…。TEDtalkみたいに人を惹きつけるようなプレゼンを出来るようになるには、発表課題に対する自分の理解度を高め、真摯にその問題と向き合っていく必要があるのではないかと感じた。

 

ここからは中間発表のことを振り返っていく。

[ 気づき 1 ]

私たちが取り上げた文献の中にあった「特性好奇心」という言葉。ここを曖昧にしていたが故に、話がチグハグになっていたことを、他のチームの質問から気づかされた。文献の中だけで使われてる概念だからって曖昧なままにしてしまっていた。でも先生から、学術論文は学会で認められて出回っているものだから、論文の中の言葉も使って大丈夫ということを教わり、もう一度文献を読み深めて、言葉の定義など隅々まで理解していく必要があると感じている。今のようにひろ〜い範囲のままインタビューをしても、自分たちが考えていた方向とは別の方向に進みかねない…。今のうちに修正できることに気づけてよかった。

[ 気づき 2 ]

健康と好奇心の関係性があやふや。健康だから好奇心が生まれるのか、又は好奇心が生まれるから健康なのか、この因果関係を明確にしないといけない。現在の私たちは、好奇心と健康が関係しているという相関関係でしか見ることができていないとわかった。

[ 気づき 3 ]

好奇心と健康とストレスの関係性が伝わりにくかった。私たちの中では、健康とストレスの関係性は明確だったから、もっと分かりやすい伝え方を最終発表までに考えないといけないと感じた。自分たちだけが分かるような書き方では駄目。

 

これら3つが先生やゼミメンバーから気づかせてもらえたこと。この機会は私たちの固定観念を取っ払って私たちのグループを客観視できたからとても良かった。4月からこの調査を始めたけど、やっぱり私たちのグループだけで話してるとなぜか、固定観念が生まれてた。また他チームの発表からも、いい刺激をもらい、同じテーマでも全然違う見方で面白かった。次回は他のチームの発表だから、また色んな方向からの話を聞くのが楽しみ!🕶🏝

 

今回はここまで👋🏻

一歩進んでは戻るの繰り返し

今回のゼミでは、心理的健康が関係した好奇心を育てる場の条件」という前回立てた仮説から、心理的健康がプラス・マイナスに向かう時の内的要因と外的要因を話し合うことから始めました。

 

でも、まずはこの仮説中にあるフワッとした言葉をWHOが定義してくれていたので、そこを書いておこうと思います。

▪︎健康 : 身体的に健康というだけではなく、精神的にもスピリチュアルにも良好な状態である

▪︎精神的健康 : 自分の可能性を実現し、生活上の通常のストレスに対処し、生産的かつ効果的に労働し、地域社会に貢献することができるという幸福の状態にあること

仮説では精神的健康としていたけど、健康という言葉の中に精神的健康も含まれることから、仮説を「健康が関係した好奇心を育てる場の条件」に変更しました。

 

次に、今回の本題である要因を深掘っていきました。ネットで検索すると、精神的健康が悪い状態(過度なストレスがかかっている状態)の要因が多くヒットしました。外的要因には、外部環境の変化や人間関係などがあり、内的要因には、個人的な状態や生理的状況の変化などがあり、これらの具体例を見ても、要因として(うんうん)と頷くものばかりでした。

次に精神的健康が良い状態の要因ですが、こちらはなかなかヒットするものがありませんでした。その理由を探していくと、実はストレスというものが私たちの生活に“プラス”に働く適度なものと、“マイナス”に働くものとがあったからです。つまり、良い精神的健康状態とはある程度ストレスがかかった状態であると分かりました。プラスに働くストレスについては、これから具体例を集めなければならないのですが、今回のゼミでは自己実現に向けた努力がその一つではないかと考えました。そしてこの自己実現が、拡散的好奇心と特殊的好奇心に反映してしてくるのではないかというところまで推測しました。ここはまだ仮説段階なので、断定は出来ません。

付け加えて、(人によってストレス耐性は異なるので、これら要因も絶対的ではありません。)

 

🧊⛲️🤍

 

ここから条件を一つ見出しました。ストレスの捉え方は個人差がありますが、「その人にとってプラスに感じるストレスが与えられる環境があれば、好奇心が育つと言えるのではないか」ということです。でも、先程も書いたようにプラスに感じるストレスとして、自己実現・自己肯定に向けた努力などの具体的な例は考えられていないので、そこを考えていく必要があるかなと思います。そうすればもっと納得のいく仮説が出来上がるのではないかと考えています。

加えて、「好奇心を育てる」という方向性でも今の時点で考えてみると、「その人にとってプラスのストレスが与えられ、それが自己実現に繋がった場合、好奇心が育った(=育っていくと予想)」と言えるのではないか。この場合の好奇心は、拡散的と特殊的なのではないかという仮説も、これから裏付けないといけません。

今回はこのようなところまで進みましたが、黒板に文字化していくと、言いたいことを言葉にする力も尽くし、前にしゃべった内容を見返せて話を関連づけていくことが出来たり、ここってどういうことっけ?と再度確認し合えたり、良いことづっくし-!👏🏻と今、気付きました。

 

【補足】

私たちのグループは知的好奇心が、あんまりピンときておらず、かつ知的好奇心と特殊的好奇心の違いってなに?という感じでモヤっとしていたのですが、そこが今日明らかになったので書いておきます。

知的好奇心は二つに分類され、その一つの枠が拡散的と特殊的ということでした。

 

では、この辺で ~👋🏻

教養⑵ 哲学の続き

今回は前回の続きでより対話を深めました!

が、その前に須長先生から前回の補足説明があったので、そこから二つ記録しておこうと思います。

 

▪︎答えのない問いに、結論を出さないという「安全な殻」に閉じこもらないこと。私がこれを聞いて思ったのは、プライドが傷つきたくない人や我が道を行く!みたいな人は閉じこもりそうだなと思いました。でもこういう方達こそ、他人の意見を受け入れたときには、視野が広がりもっとより良い考えを持ちそうな気がします。前に心理学の授業で“無知の知”といって、自分がまだ知らないことがあることを自分は知っているという人のことです。このような人が最も優れている人だと学んだことがあるのを思い出しました。

▪︎いつもと同じ考え方で考えることはアレ化に繋がる危険がある。私もよく「アレね」って言ってることが多い気がします。今の若い子は、小さい時から携帯があるので、考えることを止めるのが早いような気がします。だから大学の授業でレポートとか考えるのはしんどいなと正直思います。考える体力をつけなければなりません。

この二つが私自身、これから先でも特に大事だと考えたものです。ここからは、今回の対話について書いていきます。1週間も経っているので、最初は思うように進みませんでしたが、最後の10分くらいで議論が活発になりました。

 

🐚✨🌊

 

まず今回の対話は自分たちで問いを立て続けながらやっていくというスタンスだったので、問いを立てる際のポイントも記録しておきます。

▪︎立てた問いは誰でもわかるものなのかどうか、(例えば小学校低学年)分からなければもっと砕いて問いを立てる

▪︎相手の発言を自分の思考力と想像力で膨らませ、分からない部分を探し、具体化する

▪︎相手の発言が正しいとしたら、何か変なことが生じないか考える

▪︎相手の発言はどのような前提から出てくるのかを考えて確認する

▪︎相手の発言は、別の状況でも当てはまるのか

 

これらのことに注意しながら、まずは具体例から利己主義的に考えた場合と青年の立場に立った考えを出していきました。前回の結論では、利己主義の考え方は間違ってはないけど、正しいとは言いたくないという感じで、利己主義否定派?で終わってたんですが、この具体例からの考え出しでは、利己主義的な意見の方がポンポン出てきて、須永先生に老人をやっつけてほしいと言われたのに、無理そうかもと思えてきました(笑)でも、粘り強くやることが大事だと前回教わっていたので、全員が利己主義的世界になった場合の最悪な状況を考えて、青年の意見を後押ししようとなりました。そこで考えた結果が、以下です。全員が利己主義者なので一人行動をする人が多い社会になりそう。そして、お互いに承認欲求があり行動していることを知っているので、承認欲求のために行動をしたとしても相手からの評価は得られず、承認欲求は満たさない。つまり行動の目的である承認欲求が満たされなければ、利己主義的行動は無くなるのではないかという結論に。

最後は他のグループの意見も聞いて対話は終了しました。私は今回の教養において、問いを立て続けたり、自分の力で考えたりしていくことは怠ってはいけないなと思いました。今回の対話を通しわたしには問いに対する答えを探す体力がないのがよく分かりました、疑問に思ったことはなぜ疑問に思ったのか、その疑問を解消するための時間も積極的にとっていかなければと思います。

 

今回はここまで ~ 👩🏽‍🦱♩

教養⑴ 哲学

今年から 教養 がスタートしました。✏︎

ゼミに入る時は、教養を学ぶ重要性は意識しておらず入りましたが、今はとても興味深々です。ヨガの先生🧘🏽が行う ヨガ哲学 のオンライン授業にお金を払うほど(笑)何故こうなったか、は自分でもよく分かりませんが、頑張って言語化してみると、様々な物事を広い目で見る力を養いたいからかなと思います。自分にも相手にも優しくいるためには、自分の価値観だけでなく相手の価値観(文化観とか)も知ることで、豊かに生活していける(生活したい!)と思っています。

 

前置きが長くなってしまいましたが、自分の変化は無理でも言語化しておく事は大事かなと思ったので…。ここからは、2回に渡り行われる須長先生の第一回目の授業を振り返ります。🍮

 

今回のテーマは【哲学対話】

資料としてマーク • トウェインの「人間とは何か」が用いられました。これは利己主義的な考えを持った老人と、そのような考え方を認めてはいる?が賛成してはいない青年の対話が繰り広げられている。これを読んで自分なりの考えをまとめてくることが課題でした。私は当日、自分の書いた考えを読み直して、やっぱりこの考えは変かな☹️みんなに伝わるかな😖など考えて「対話できるか」緊張しました。でも、グループで共有する前の須長先生の前説で安心して対話することが出来ました。そこで、その前説を振り返っていきます。

 

前説 - !

ゼミ活動では 問い(仮説)を立てる という過程があります。これは重要な過程であるということ。問いが立つという事は答えがないということで、答えがないということは、対話に繋がります。問いがあってこそ私たちは思考します。答えとなる知識を持っていては、それに縛られそれ以上のものは得られません。問いを立てることで、周りの人との交流を図ることもできます。つまり、問いを立てる事は重要な要素であると理解できました。次に、何を問いとして用いるかです。今回は「哲学」だったので、哲学について触れていきます。哲学は既存の知識を揺さぶり、異化します。この異化というのが少々難しい…ので、先生が用いられた具体例を書いておきます。

________________________________________
家族ために一生懸命仕事をする男性がいました。しかし妻と娘は家を出て行ってしまいました。その男性は、「仕事とは何なのか」という問いを持ちます。だって、今まで家族のためにしていた仕事だったので。この問いを友人に投げかけてみると、友人はお金のためかな、と答えます。この男性が求めているような角度からの答えは返ってきません。なぜなら、友人の馴染みのある“仕事”と男性の“仕事”は違うからです。男性の“仕事”は、家族が出て行ってしまったという体験を通じ異化されているからです。つまり馴染みのないものになってしまっています。だから当然この経験をしていない友人はこの問いに答えることが難しいのです。

________________________________________

これが異化という言葉の意味です。異化された世界は言語化することも、共有することも難しいのです。今回はこのような世界を対話しました。また対話の中で行なわれる思考には、早い思考と遅い思考があります。私たちが善としている早い思考は注意力が低くミスが起こりやすく、一方で、遅い思考はミスが起こりにくいとされており、私たちは今回この遅い思考を意識しました。

 

いよいよここからがグループ t a l k - !の内容

その前に哲学的対話をする上で意識すると良いことは、相手に分かってもらおうという意識よりも、相手の言葉によって揺さぶれるというのを大事にすること。そして結論が見えなくても急がないこと。この二点を特に意識しました。

まず利己主義についてどんな感想を持ったか。という所では承認欲求が強い • 寂しく冷たい考えという意見が出ました。たしかに私たちも利己主義的考えをする時はあるけど、その考えで全てを見ていくのは寂しいと思います。

次に利己主義は正しいと思うか。という所では、その主義を認めるのは認めるけど正しいとは言いたくないな〜という感じでした。また上妻くんが、「心の中に考えとして持っておく分にはいいけど、口に出したらまずいよね」と言っており、そうだよ、そうだよと共感しました。そこで須永先生が、どうまずいんだろう?と投げかけられて今回はこの問いに答えられるものが思い浮かびませんでした。

最後にグループごとに現状を発表しました。結構、「利己主義にシンパシーを感じました」というグループが多くて面白いな〜思いながら意見を聞いていました。利己主義があってこその利他主義がある、とか。利己主義で行動しても最後は倫理・道徳に結びつく、とか。頷きながら聞いていました。

 

今回はここまででしたが、次回はもっと発展していきそうでとても楽しみです👏🏻❕次回までに「利己主義を全員が理解している世界ってどんなん?」「口に出すとまずいのはなぜか?」「(実は利己主義的考え方なのに)良き嘘をつき続けるのはなぜか?」ここらへん考えてみたいなと思います。

 

それでは ~ 👋🏻

計画の練り直し。

今回のゼミ時間は、

文献を読んでみての意見交流、そして

これからの予定を再確認しました。

 

●まず文献から

前回の文献から分かっていることは、『日本において好奇心に関する具体的研究が進んでいないこと』。

そして、好奇心は  “複数の特性が結合されて生まれる”  ということから仮説としてた立てた『好奇心は個人の性格・環境・不安と関係がある』ということ。例えば、「興味関心」とその時の「時間の余裕」から生まれた好奇心というように、複数の要素が組み合わさっている感じです。

それを踏まえて、今回の文献を読みました。

(今回の文献は、前回の文献と同じ方が著書として携わっています。)

 

今回の文献から分かったことは、私たちの立てた仮説は カシュダン の考え方に近いということです。(カシュダンは健康やwell-beingに良い効果をもたらす好奇心に注目しています。)よって、今はこの方向で調査を進めて行きたいとおもいます。でも、これは好奇心が生まれる条件の中の一つであって、個人の健康・心理状態だけでなく、他の物事により生まれる好奇心もあるのでそこにも目を向ける予定です。(社会情報や学習からなど)

また、今は好奇心が「生まれる」時点のことを考えている気がしているので、「育てる」時点のことも考えなければなりません。

やるべきことは沢山ありますが、今回決まった大まかな計画を書いておきます。

 

●これからの予定

【5月】

⭐︎人の健康状態や心理条件によって変わる好奇心について深掘る!

…具体的にはアンケート調査の準備。(forms使用)

質問事項を考え、選択肢はペルソナを作る感じで具体的な選択肢を用意する。回答を文章で書いてもらうことも考えたけど、今回は深いインタビューではないし、かつ心理状態も細かに異なるので、選択形式に。年齢・性別・職業関係なく、まずは情報収集し分析していく予定。

 

ちょっと前進。

最近は一人で散策できるようになって、

この前は中華そばを食べに行きました-!🍜

 

 

【04.27のゼミ活動】

この日は、定義決めからスタート。

ここの段階で歩みが止まった感じがしたけど、

「仮の」定義付けをしようということにして、

話し合いが再開。

何でもかんでも完璧になるまでって思ってたけど

それは何か違う気がして。

だから違うと思ったら変えることにしました。

 

そして、定義付けのためにまずは文献読み。

これがまた難しい内容で、ネット上の文献、

大学の図書館を探したけど「好奇心」だけに

焦点を当てたものは見つからなくて…。

だから今回の文献は知的好奇心に特化してたけど

まずは読んでみました。

 

そこに書いてあったのは、

まず好奇心に関する具体的な研究が日本ではまだ

進んでなくて、海外では、教育面での好奇心に

関する研究は進んでいるということ。

ここから感じたのは、

「好奇心ってこうですよ!」みたいなものがない

理由が、ここにあるのかなということです。 

でも、「仮の」定義付けをすると決めたので

文献の中から引用した文言に決めました。

 

次に分かったのは好奇心=「多様」ということ。

好奇心は、単独の特性(興味だけ等)では影響が

小さく、複数の特性が結合されて強い影響を持つ

ということ。

例えば、自分の時間や心に余裕があるから、興味を持つことができて、好奇心に繋がるみたいな。

好奇心は、その人自身の性格や置かれた環境、

不安などと因果関係があるのかもしれない。

だからまだ先のことだけど、インタビューを

する時には、現在のその人自身の状況を知れる

項目も記載してもらおうとなりました。

統一した枠組みがまだ打ち出されてないからこそ

自分たちなりの「好奇心を育てる場の条件」を

考えられたらいいなと思う。

 

【次の予定】

文献を各自読んで意見を共有し進行していく。

ざっくりな予定になってますが、正直迷いがある

状態なので手探りでやっていきたいと

思っています。

 

今回はここまで。🧘🏽

2021

わたしの実家がある場所は、すでに最高気温が

30度近いと聞きました。

今年の夏はどんな夏になるのでしょうか。🚲🍃

 

 

 

今回は04.20のゼミ活動を記録します。

その前に前置きを書きます。

 

私たちが2021年にやること

「好奇心を育てる場の条件」です。

一年かけてこれを見つけていきます。 

 

書籍からインプット

上記を見つけるための活動を行う上での注意点を

学びました。

⑴フィールドワーク時に陥りがちなワナ

危険な二つの罠について。

一つ目が「まず文献や参考書から理論的前提を打ち出し、それからデータをとって終わり」というもの。これは手に入れたデータを強引に理論的前提に合わせようとしてしまう結果に陥ります。

二つ目が「データだけがあって、理論と論理がない」というもので、これはインタビュイーの意見を鵜呑みしただけで説得力がありませんし、質問された時に根拠のない返しになります。

だから私たちがまず目指すべき状態は、

「理論はないけどデータも論理もできている」という状態。これなら、インタビュイーの意見、観察を清書しまとめた上で、それを論理に基づいて裏付けできれば説得力が上がります。 

 

⑵漸次構造化法的アプローチ

これは問題設定に時間と労力をかけて、その後データ収集や分析の流れに行くという作業のこと。私はここはなかなか難しいものだと思いました。

「好奇心を育てる場の条件」というお題が出て、まず私たちは、好奇心を生む対象者、生まれる状況を考え、既に条件を推測しようとしていました。それ以前の「好奇心とは?!」「育てるとは?!」という定義を考えてもなかったです。だから、今回の授業でグループ内で定義の共通認識を持っておこうと思います。意外と、問題設定って中高時代の国語の授業でもそうでしたが、先生が正解を教えてくれるから、考えよういう姿勢があまりありませんでした。

 

⑶フィールドノーツの重要性

実施した調査を事細かに体験の内容を限界ギリギリのところまで文字の形で記録し、まとめて清書することによって、過去の体験をいつでも振り返れるようにする。わたしは体験をまとめる癖はついていると思うのですが、主観的な意見を付け加えることは出来ていません。誰から見ても分かるようなことしか書いてないなと思います。だからblogや今回の活動でも、限界ギリギリまで書く力を特訓中です。(話が逸れました、すみません)

 

私たちのグループのこれから

まずは「好奇心」や「育てる」という定義の共通認識を持った上で、定性調査をしたいと思います。参考書やweb上の事例、文献から理論を打ち出したいと思います。「理論」っていうのも調べないと、と今思いました。曖昧なままの定義でやっている部分って多いなと気付かされます。これからの流れは、まだここまでしか決まってないのですが、一応マインドマップも実は作っていて、自分たちの好奇心が生まれた状況を思い出して、メンバーで持ち寄りました。結果は、みんな興味や関心の項目だらけになりました。(先生も仰っていたのですが、「興味」と「好奇心」の違いってなんなんだろう。)だから「好奇心」という定義をもっと深掘りしないと、全グループ同じような条件になりそうな気がします。現時点でも、みんなマインドマップや似たような文献を参考にしているな〜と感じました、、。似ているのが悪いことはないと思いますが、そこに強い根拠があるのかというとまだ薄い気がします。また、たくさんの好奇心があるのに、なぜ偏るのかと思いましたが、財前さんが仰っていたように、私たちが同年代だからというところもあるのかなと思います。だからもっと視野を広げるためにも文献や書籍に触れて、違う年代、性別のヒトを考察しようと思います。(ゆくゆくは…)

 

 次週の予定

まだグループ内ではまずはblogで頭を整理してから来週の予定を決めようとなっているので決定ではありませんが、定義を明確にすることは絶対したいと思います!